浮気は許す
現在進行形で浮気、不倫に何らかの形で関わっている方は目を通さないでください。
誰も喋る相手がいなくてわびしい人の独り言です。語る場所がブログしかありません。個人的で感情的な話です。お喋りです。
人は当事者になると途端に冷静さを失います。攻撃的になったりします。刃物を振り回したりします。
私は刺されるのは嫌です。取り乱した人間は怖いです。
そういうことです。
目次
- 最終確認
- 本題へ
- まずは浮気する本人達に思うこと
- 本人達にとって浮気は楽しいもの
- 浮気して抜け出せない私悲劇のヒロイン神話を壊したい
- 浮気は別に悪じゃない
- 信念がないからどっちつかず
- 決断しちゃえ
- 浮気は他者から非難される
- 浮気を嫌悪する人の心理
- 個々人は独立している
- 浮気するのもその人の人生の選択
最終確認
文字数をかせいでいる間に当事者の方々はもういなくなりましたよね?
先を読み進める気を失くすような画像↑も使ってバリケードを張りました。
攻撃されて辛い人を表したかったのですが、この人が真性ドMだったら喜んでるね。と、写真を貼る作業をしながら余計なことを考えていました。確認しますけど、もう残ってらっしゃいませんよね?
ここに残ってるのは浮気、不倫に関係ない、もしかしたら色恋沙汰にすら関係ない清純潔白、質素な生活をモットーとし、そのうえここまで回りくどい文章に付き合う気のある奇特で暇を持て余した方々だけですね。さながら貴族のようです。
貴族ってすんげー暇なイメージないですか。暇すぎて暇すぎて退屈だから新しいものを生み出す、という。金が余るわ時間も余る。
持つ者には全てが集まるのでしょうね。我々も時間という財産を貴族さながら贅沢に使い倒しましょう。豪遊しちゃいましょう!
本題へ
前に進むことが怖い時や、これからやることに気後れしている時って無駄なことを意味なくペラペラ喋っちゃいませんか。今のこんな感じですね。
散々前置きしましたが本題に入ります。
不倫報道、不倫ドラマ、何があそこまで人々を惹きつけのでしょうか。
正直なところ、不倫や浮気の苦しみに入れ込んで酔っているであろう張本人達が恥ずかしいと思わない感覚も、必要以上にそれを攻撃する人達の感覚も自分としてはよくわかりません。
誰ともパートナーシップを築いたことが無いから、理解出来ないのかもしれません。
まずは浮気する本人達に思うこと
不倫や浮気ってお互いに「楽しそう」って思ったからしたんですよね。建前無くして、包み隠さず本音を言えばそこに集約するはずです。まさか義務でもないし。
でも、楽しいはずのことを選択しておきながら、本命になれず浮気相手にされちゃってる人とかは「苦しい、辛い、やめたい」って言います。
じゃあ思った時点でやめればいいのに、辞めないのは、苦しいことが楽しい体になっちゃってるんですよね。精神的なSMです。
人間って強制力が働かない限り楽しいことしかしないです。つまり、浮気の状態を継続し続ける人は心の奥底ではこの状況を楽しんでいます。
本当の意味で心底苦しくはないのに、苦しい演技して悲劇かのように振る舞う様が、面白くないです。
本人達にとって浮気は楽しいもの
結局自分勝手に楽しみたいだけです。単に自分が楽しそうだから浮気した、不倫したのに、そこを認めない頑固な態度が腑に落ちません。
周りの人間に被害が及ぼうが関係ない。自分、自分、自分の快楽を最優先にして行動しただけ。
自分の快楽の観点から見て最善策をとったのが、その浮気相手になるっていう結論です。
私はこういう思考回路は人間だったら正常だと思っています。特別悪いことではないです。でも、誰もがそうなのに、誰もそのことを認めたがりません。
浮気した人も、素直に
「他人を押しのけてでも楽しみたいんじゃワイはーーー!!」
と、まあ、口に出したら角が立ちますが、自分の心にくらい正直な申告すればいいのに。彼と私の悲劇の物語なんて作ってないで。
浮気して抜け出せない私悲劇のヒロイン神話を壊したい
浮気が苦しい理由に、相手を独占できないってのがあります。ナンバーワンじゃない。苦しい。
でもそれだけであんなボロボロになってみせる必要ないです。
ナンバーワンじゃなくて悔しいことなんて、他の分野でも死ぬほど経験してきたはずです。
浮気を「苦しい」と感じさせる要因は他にもあります。
浮気っていう社会的には悪とされていることを自ら進んでやってる、っていう罪悪感から逃れたいから、苦しんどけば「自分の利益、快楽のために進んで悪に手を染める利己主義者」って事を、自分の中で認めなくて良くなるので、そうしてるだけです。少なくとも悪と戦う自制心があるかのように振る舞えますからね。
自分で自分を「私、別に自分勝手じゃない。良心に従って生きてる」って納得させるために、敢えて苦しんでみせてるんです。
他人にここまで行動の目的が読まれてると、恥ずかしくないですか。バレてても気にしないんですかね。
もう、自分に言い訳するためのオーバーリアクションやめましょう。泣くの、やめましょう。
自分は他人様のものを奪い取って優越感に浸りたかったとか、他人の気持ちなんかより自分の快楽が何よりも優先順位が高いからそうしたとか、素直になるべきです。
浮気した人は自分のためだけに浮気したんです。楽しいから。
苦しい悲劇だなんてとんでもないです。楽しさを実現出来た喜劇の一種です。
浮気は別に悪じゃない
私は浮気は悪いものとは思っていません。良いものとも思ってもいません。浮気を使いこなす人によって良いものになったり悪いものになったりすると考えています。
そもそもの苦しみは「浮気、悪い」って考えを信じているから起こるんです。
信じてるくせに逆のことをするからです。
それを信じてるから、
「悪(=浮気)をしたいけどそれをしたら私も悪になっちゃう訳で
それは心苦しいけどやっぱり悪(=浮気)に手を染めたいな〜
でもこんなこと思ってる時点で私は悪になってしまうけど
それはどうにか避けたいので
精神的には悪に抗っている構想にしたら完全に私が悪に染まった訳ではなくなるし
落ち着き所として丁度いいからそうしよう」
って回りくどいことしなきゃいけないんです。
浮気が悪いって誰が決めたんですか。
社会とか、世間とか、実体がないぼんやりとしたものの刷り込みですよね。
信念がないからどっちつかず
浮気や不倫してる人が悲劇に酔っていると、歯切れが良くないというか、往生際が悪いというか、見ている方としては、スッキリサッパリ
「浮気は悪だ!パートナーを傷つけるわ浮気相手に無駄な時間を使わせるわでろくなことがねえ!だから一切浮気しない」という世間の常識に完全に乗っかる派か、
「楽しいことが一番!他人が決めた善悪の軸など私には通用しない!」とゴーイングマイウェイ開き直る派に分かれて欲しいです。
自分の信念がない人同士の馴れ合いを見ていると埒が明きません。
社会の基準を信仰しながら、それに矛盾する自分のやりたいことをやり通そうとする姿勢が、本人の信念というものが感じられなくてブレブレです。どっちかにして欲しい。
今回の例でいうと社会の常識が「浮気は悪」で、自分の考えが「浮気は楽しいこと」です。信念というと大げさですが。
諸悪の根源は信念がないからです。
信念を持っていれば、どっちつかずの状況に甘んじて無駄な時間を費やすことはないです。
世間体が信念なら、浮気はしない。自分の快楽が信念なら、浮気を心置きなく楽しむ。というようにどちらかの場所に落ち着きます。
決断しちゃえ
浮気して辞めたくて辞められないと嘆いている人は、もったいないです。
本当は楽しいことを自分で選択しているはずなのに、素直に楽しいことを「楽しいー!」って心から叫ぶ自分にブレーキをかけてる。
今すぐ、世間のルールを自分の中の宗教にして、その経典に則って生きるのか、教祖様を自分にして自分ルールに則って生きるのか、決めちゃえば楽になります。
どっちの道を選んでもメリットもデメリットもありますが、中途半端にうじうじしてその場に留まっているよりは、サクサク前に進めるので建設的です。経典が一つだから決断が早いんです。
そして、「完全に悪いこと」なのですっぱり浮気を辞めるか、「楽しいこと」なので楽しみ尽くすかどっちかにすればいいです。
だって、勿体無いじゃないですか。楽しいことを、楽しんじゃいけない、って辛がりながら過ごす時間。それならその時間を、他に純粋に「楽しいーーー」って叫びながら楽しめることに費やした方がいいです。
楽しいーーーっ
浮気は他者から非難される
今まで浮気をしている人について語ったので、お次はその彼らを見ている傍観者についてです。
浮気した人たちってめっちゃ叩かれますよね。
それ見て思うのが、
本人たちの自由じゃない?好きにさせてあげたらいいんじゃないか
ってことです。
浮気を嫌悪する人の心理
みんな、パートナーシップを築く際に「一個人が一個人を所有したい、独占できてしかるべきだ」って当たり前のように思ってるんです。
浮気をする人は、わかりやすく自分の快楽に利己的に流されている様が目に見えます。だからこそ非難しやすいです。
でも、浮気を叩く側も「自分のところにあの人を縛り付けておきたい。自分の為に」っていう、負けず劣らず利己的な思いがあります。
個々人は独立している
私たちは、自分が自分の人生の選択権を全て握っています。
同じく、パートナーはパートナーで本人の独立した人生があります。パートナーの人生の選択権は全て彼(彼女)の手の中にあります。
私たちはお互いに独立した存在で、どちらかがどちらかの所有物ではありません。
それぞれの別々の人生があって、たまたま、本当に偶然、縁があって一緒に寄り添うことができているだけです。
お互い、個々の選択で、それぞれ「一緒にいる」を今の瞬間同時に選んでいるだけです。
間違っても、パートナーは自分の所有物でもなければ、一心同体、運命共同体な存在でもないです。
どちらかが「一緒にいる」以外の選択をすれば、解消される関係です。
浮気するのもその人の人生の選択
「浮気する」も、パートナーの人間が人生の数ある選択肢の中から本人が選んだ決断です。
もし浮気されたら、私は色んなことを考えるでしょう。
浮気相手の女の子の方が魅力的だったら負けた自分が惨めだし、パートナーと女の子が私に対して優越感を持っていると想像するとめちゃくちゃ腹が立ちます。
(パートナーいたことないので、この程度しか想像できません。。)
でも、パートナーが「悪い」とか、相手を攻撃する気にはなりません。
彼は彼の人生の舵を取っていて、「私といる」よりも、「浮気する」の方が自分にとって良い、と判断したのです。それだけです。
選択肢として自分が選ばれなかったのは、自分の中の何かが傷つきますが、相手は悪くありません。単に彼の人生の選択をしただけです。
パートナーには自分とは全く別の人生があって、選択は常に相手の自由意志で行われている、という視点を持てば一方的に浮気したパートナーを責めることがなくなります。
本来は独立した別々の存在のはずなのに、連続してお互いが「一緒にいる」を選択し続けていることの方が、稀有なことだと思います。