映画「キューティブロンド」に見る女性の生き方
気分を上げようと、前から気になっていたDVDたちを借りて鑑賞してみました。その中の一つが洋画「キューティブロンド」↓です。
以下バリバリネタバレ含みます。
目次
- 男性にお金を求める
- 男性のお金を欲しがるのは悪くない
- パートナーは所詮他人
- パートナーに依存する
- 自分しか自分を幸せにできない
- 「キューティブロンド」主人公の女の子の選んだ道
- 女の子へのエールが詰まってる
タイトルから受ける印象は、軽薄な今時の女の子がキャピキャピ男の子達とすったもんだする話かな?って程度でした。
前半の触りとしてはその要素があり、あながち間違ってはないのですが、この映画の本題はそこではありません。恋愛ではありません。女の子の、自分で獲得して、自分の力で立つ幸せを描いています。
男性にお金を求める
婚活で結婚相手の男性を見る時にどこを見ますか。
(ここで注意して欲しいのは、「この人と結婚したいな、一緒にいたいな、と思えた相手に出会えた時に相手のどこを見ていたか」じゃないってことです。
「まず”結婚”という目的が先行しており、そのパートナーという名の”役職”に誰かを当てはめるための作業(=婚活)」しているときを今回は指しています。)
年収ですね。
「年収1000万ある人にデートに誘われたらきっと飛びついちゃうな。でも、がめつい感じは出さないように。相手がドン引きして逃げたら大変。」
「私は自分の身の程を知ってるから平均年収で妥協するの。高望みして余り物になる女より賢い選択だよね」
「私はお給料なんて気にしない。人の価値ってそれでは決まらないから。」
色々な意見がありますが、年収を判断軸として全く度外視する、ということはありません。
「気にしない」って言ってる人も、本気で年収がどうでもいい案件だったらわざわざ話題に出すことはありません。
例えば、お相手の方の誕生月がいつかなんて大抵の人にとって結婚するかどうかの決め手としてはどうでもいいですよね。夏生まれじゃないと結婚したくないってこだわるような人はまれです。
だから、「私、結婚相手の誕生日が何月なのかは気にしないの。生まれた月で相手を判断しないの」とわざわざ発言しません。
気にしない、気にする、と発言している時点で、判断基準の一つなのだと認めていることになります。
男性のお金を欲しがるのは悪くない
「年収、金で判断するやつは醜い。男をATMだと思ってる。」
「自力でどうにかしようとしないくせに他人の力で贅沢しようなんてハイエナだな」
「身の程を知れ。自分にそれほどの価値がないのにわがまま言うな」
年収で男性を判断する女の人への批判は相当なものです。
何がいけないのでしょうか。「お金がたくさんあったら、楽しいこと、幸せなこといっぱいできるなあ」ってワクワクすることの、何が悪いんですか。
他人の力のおかげで楽するのが悪いんですか。誰だってできることなら楽していい思いしたい、って感情は湧きます。自然な感情です。
「こうしてみたいな」「こうだったらいいな」って自然と思っていることが、怠けてるとか、利己的で汚いとか、さも悪いことかのように言われることが多いです。
悪くないです。責められる筋合いもないです。
「したいなあ」という素直な気持ちに罪はないです。
誰かさんが根拠のない正義を盾にあなたを攻撃してきたとしても、あなたは悪くないです。意識しなくても勝手に自動的に思っちゃうことは、誰がなんと言おうと正しいです。
つまり、私は女の人がパートナー探しに年収とか、相手の「アクセサリー」部分がキラキラしててそれ欲しさに結婚したがるのは全然良いと思っています。
欲しいな、って思ったんだから、素直に欲しがっていいです。
パートナーは所詮他人
ただ、綺麗事抜きで、金持ちをパートナーに迎えただけであなたが幸せになれるかって言ったらそうじゃないです。
貧乏がいいなんて言ってません。お金はあるに越したことはないです。
当たり前ですが、パートナーってあなたじゃないんですよ。
協力関係にあり、自分の一部だと錯覚することもあります。でも、運命共同体ではないです。確実に。
あなたは死ぬまであなたから離れられませんが、パートナーはあなたから離れられます。その可能性自体は常にあります。可能性なので、限りなく低くなることはあってもゼロになることはありません。
パートナーに依存する
パートナーをこのままどうしても手放したくない、という気持ちが湧きます。
でも離れていってしまうかもしれない。
あなたは不安になります。
不安要素を潰そう試みると、パートナーの言動や行動ばかりに目を向けて対策を練ることになります。
精神的にずっとパートナーに照準を合わせて生活しなければなりません。
パートナーから目を離すと、せっかく捕まえたのにどこかへ行ってしまうかも知れないからです。
これって幸せな状態ではないです。失う不安と常に隣り合わせです。
幸せになるためにお金持ちの男性と結婚したのに、不幸せな状態に帰着してしまいました。
自分しか自分を幸せにできない
じゃあどうすればいいのか。
お金が欲しければ自分で稼ぐ。手に入れたいものを自分の力で取りに行けるだけの自分の能力を磨いておく。つまり、誰にも頼らず、自立する。
これしかありません。
パートナーは目を離すと消えてしまうかも知れませんが、自分の獲得した能力や知識はあなたから離れることはありません。
常に監視してハラハラ見張っていなくても、忠実にあなたに連いてきてくれ、あなたに利益をもたらし続けてくれます。
教科書に書いてあるような至極ありきたりな結論にたどり着きましたが、その通りです。
「キューティブロンド」主人公の女の子の選んだ道
「キューティブロンド」の主人公は、自分を振った男を追いかけて、彼のいるハーバード大学の法学部になんとか入学しました。
この時点での彼女の目的は「彼と結ばれること」。
冒頭の「こんな素敵な彼にプロポーズされるかも」と勘違いしているシーンあたりの発言からも読み取れますが、「素敵な男性の隣にいる私」に価値を置いています。
話の流れで、彼女は自分を軽んじ、バカにしてきた彼を見返したいがために勉学に励み、結果を残します。
具体的な話は割愛しますが、勉学という自己投資をして、彼女はどんどん自分の力だけで様々な問題を解決していけるようになります。
最終的にその彼に告白されますが、彼女は「あなたはいらない」と今度は彼女が彼をバッサリ振ります。
「私」自身に価値があると気がついたからです。
自分の力、自分だけで立っていられる力があれば男性はどうしても必要なものではないんです。一人でも平気だからです。
一人でも平気ということは、相手がいつ目の前からいなくなっても私は困らない、と余裕を持って構えていられるということです。
男性に依存しながら生きて行くことと正反対の生き方です。
女の子へのエールが詰まってる
細かいシーンでも勇気づけられた場面がありました。
ニュアンスでしか覚えてないのですが、「私は学もないし太ってて三段腹しか持ってない」と自分を卑下する女の人に、主人公が「あなたは全てが揃ってる。足りないのは少しのテクニックだけよ」と言っていたところです。
コメディーなので、紹介されたテクニック自体の信憑性は定かではないのですが、この発言は自分に自信のない多くの女性を救うんじゃないかな、と思いました。
足りないものは数えても仕方がないです。
というより、「足りないもの」ってどんどん作り出せてしまうので際限がないです。
企業が何かを売りつけたい時、コマーシャルなどで「それを持っている人」を「持っていない人」に見せつけ、焦らせ、消費行動に走らせます。例えば「美しい顔」を持っている人とか。
本来そんなものなくてもいいので十分間に合ってて、「足りてる」のですが、「私は持ってない」ことを強調して知らされると、「私、足りてない」と思い込むようになるのです。
そんな風にして「足りない」は簡単に量産できてしまいます。
この主人公の女の子が言うように、本当は私たちには全てが揃っています。足りなくなんかありません。欠陥品でもありません。
自分にないものを数えて惨めになったり、卑下しなくていいです。「足りない」というのが勘違いのことが多いです。
「ないない」嘆くんじゃなくて、「十分私は今の時点で揃ってるけど、もう少しここが追加されたらもっと素敵になるかも」くらいのスタンスで自分を向上させていけたらいいと思います。