(随時更新)デブ歓喜。チョコレートダイエットしてみる
鶏肉ダイエット↓の途中ですが、こちらの都合で忙しくなったので手間暇かからないものでチャレンジします。
鶏肉ダイエットは時間が出来次第、また更新していきます。
目次
もご…もごお…
早速色々な種類のチョコを買いました。
パンパンな袋をパンパンな顔の人が持っていて、いかにも「デブのお買い物」って感じで、
「私、もし今の瞬間を漫画とかの主人公の背景としてワンシーン切り取られてたら、周りの誰よりもわかりやすく典型的な特徴があって目立ってる。キャラ立ちしてる。私は誰よりも今、輝いてる(ただし主人公を除く)。
そう、私、今誰よりも輝けるモブとして生きてる…!」
と、ありのままの自分を受け入れ、希望を持ったまま眩しい未来に向かってその足を進め
るわけなく、「マジで今知り合いに会いたくねーな」と思い続けながらチャリでキコキコ帰路につきました。
ドーーン
お値段合計1817円!!
菓子たちの中から新キャラが出るたびに紹介していきます。
1日目
まず手をつけたのはチロルチョコ30個入りパックです。
理由は簡単です。味に種類があると飽きないからです。
種類は5種類あって、
みるく、いちごゼリー、コーヒーヌガー、ホワイト&クッキー、ビス
です。
ブログ内でブスブスブスブス書きすぎて「ビス」を思わず「ブス」と打ち間違えてしまいました。
コーヒーヌガーはコーヒーチョコっていうより、キャラメルが入ってるチョコって感じです。
クッキーは包装の見た目から3種類あるように見えますが、中身は全て一緒です。
いちごゼリーの断面を写真に載せようとしましたが、包丁で切るのが面倒で、ワイルドに歯で入刀したらボロボロになりました。そこでやる気が失せてもう諦めました。
味が知りたければご自分で試してみてください。
百聞は一見にしかずって言います。他人に教えてもらっただけのものは身につきません。実体験として自分で取り組んだもののみが自分の体に残るのです。
今回だと脂肪としてご自分の身につきます。
…。
小枝とメルティーキッスにも触手を伸ばしました。にょきにょき
良くも悪くも特に発言することがないのでまとめました。
まるで私のようです。
リーダーにもならず前に出て来ず特技もなく、かと言って大人が顔をしかめるような騒動も犯罪も起こさず、こういうタイプはバイタリティーがあるため後々出世しそうという個人的な偏見がありますがそういったこともなく、とにかく特徴がない地味な人間で、
クラス替えの際、教師は個性のある生徒を意図してバラし別々のクラスに送り込むそうですが、迷わず「人畜無害、個性陣決定後の穴埋め枠」に認定されていた自信があります。
そう思うと、無個性、面白みがない、と私に雑に扱われた彼ら(小枝、メルティーキッス)に愛着が湧きます。
私は他人の苦痛を自分の痛みを通してしか理解できません。
今度から小枝とメルティーキッスに会ったら、同士として黙って会釈ぐらいはしようと思います。嘘です。他人にどうこう言われたからって気にせず強く生きてください。私も、この世の終わりが来た時に私だけは生き延びます。
ドキンちゃんも同じことを言っています。
わたしはドキンちゃん|ドキンちゃんの歌|Anpanman Song
ドキンちゃんは、あんなに一途に尽くしてくれるばいきんまんがいるのに、何もしてくれないしょくぱんまん様に恋するんですよね。
女の子の性質をよく表してるなって思います。男性もそうかも。
小枝などのお菓子は無難ですが無難で息が長い商品って私は購入後総じて不満が出ません。
事前によく調べもせず買った新製品や限定ものは、大抵「量、少なっ」「味イマイチ」など、値段に見合ってないものを買ってしまった、という感想を抱きます。
競争に参入したばかりなので、例え粗悪品でも淘汰されきれてないんですね。
おなじみの有名な商品は、長い間店頭に並んでいる、つまりその間ずっと他の製品と戦い勝ち続けているものです。実は質のいいものなんですね。
それなのに「いつもそばにあるもの」は、いつでも手に入る故、ないがしろにされがちです。
いつもそばにあるもの程「いつもそばにないと自分が困るからそばに置いてる」ものだったりするのに。。
ママンとか凄いよ。
ほとんどの人は親より血の繋がらない他人の都合を優先しがちだけど、これ言うと家庭環境とか触れたくないところに問題の矛先が向かいそうなんだけどそこは曖昧なままにして、どう考えても親が自分にしてくれたことの方が大きいからね。
ママンには何のお返しもしない利益率の果てしなく低い生物であるあなたをわざわざ身ごもり、
妊娠期間の、物理的精神的生理的金銭的苦痛と労力、時間的拘束、自分のキャリア計画断念などを経て壮絶な痛みとともに無力なあなたを出産し、
そこからまた、自分の人生の時間と金と労力を削ってまであなたに投資し、生活の基盤と食料と愛情を注ぎ、ついでに娯楽も揃えて与えて、あなたの精神的サポートも抜かりなく、あなたの将来の計画を練ってあらかじめあなたの困難を取り除こうとし、
与えてもらい続けていることにあぐらをかいた散漫なあなたが我儘や文句を言ってきても、
あなたが今までずっと世話してきてくれたママンとの約束をないがしろにして、他人との約束を優先するようになっても、
見捨てず、変わらず年中世話し続け、
そうしているうちに、あなたが赤の他人である異性と一緒になるためにあっさりママンを捨てる日が来ても、
あなたに投資した分の返済がないという恨み言ひとつ言わず
「 幸せになってね」
だけ言ってあなたの幸せのために、自分の気持ちは抑えて、手を離し、
ママンは、人生のほとんどをあなたのために割いていたので気づきませんでしたが、いつのまにかママンの人生は終わりに近づいており、
歳をとり弱者になることには逆らえず、立場もどんどん弱くなっていきます。
ママンは今まで通りのことをあなたに供給したいと思いますが、実力的にどうしても無理になります。
ここまで来て初めてあなたはママンのことを顧みますが、残り少ない時間内でやってもらったことすべてを返済することは不可能です。
そんなあなたをママンは許し、いつかあなたとママンはさよならします。
二度と会わない日が来ます。
ここで「そばにあるものって大事だったんだな」という結論に達します。
ありきたりすぎて何度も目にしたことがある台詞ですが、それだけ普遍的で多くの人間が犯して来た失敗だと言えます。先人たちの「こうはなるなよ」っていうメッセージですね。
それにもかかわらず私たちは何度も何度も同じ失敗を繰り返します。
いい加減覚えてください。
そばに当たり前に存在してるものが一番大事〜〜〜〜!!!
略して「SASID」!!
↑そ(S)ばに当(A)たり前に存(S)在してるものが一(I)番大(D)事
鶏並みの記憶力なので、私が忘れてたら教えてください。きっとまたすぐ忘れてしまいますが。
そんくらい私は本質的には横暴で利己的で感謝が足りません。放っておくとそのままなので、自分で意識的に軌道修正していかなければなりません。
つーか、このママンのくだりを自分で書いててもうダバダバ涙が止まりませんでした。特に「幸せになってね」以降後半のママンが死に近づいていくところ。。
ママンー!
あらかじめ人と会う約束が決まっていたのに、こんなん打ってしまって「ミスったな」と思いました。
「そばにあるものが大事」の例を挙げるなら、恋人に振られる程度の話にしておく選択肢もありましたね。
お笑いコンビ、ブラックマヨネーズの吉田さんが、
「純愛物の映画作品で、致してない関係の男女の一方が死んでも泣けない。」
という趣旨のことをおっしゃっていましたが、共感しました。
恋人って代わりがいくらでもいるじゃないですか。いなくなっても。
そこに付加価値がつけばつくほど「かけがえのないパートナー」に近づいていきます。
付加価値は、どちらかが社会的に高評価されるものをゲットしたり、お互いの関係性の上で生み出したりして加わっていきます。
美貌や収入など社会的な評価軸上にあるものを利用し、自分の希少性をあげる戦略も十分に効果はあるのですが、どうしても最後の一歩に踏み込めないんですよ。
「絶対絶対あなたじゃないとダメーー!」にはならないです。もっと高評価を獲得している人間は存在するので、あなたの代わりがいることになります。
そこで、最後の一歩を踏み込む鍵となるのが「お互いの関係性構築とともに生み出された付加価値」です。
わかりやすいのが共同作業です。
共に困難を乗り越えた人、一緒に問題を解決した人には、その経験を通して
「これからもピンチを乗り越えていける判断力がある」「少々のことでは裏切ってこない」「自分の弱みを晒して問題ない」「自分から搾取しようとしてくる危険がない」
などなど多方面から信頼を寄せ合うようになります。
信頼があるというのは強力な付加価値です。
生きていて、ちょっとやそっとでは信頼できる人間なんて現れませんからね。信頼の付加価値が付くのに時間もかかりますし。
関係構築の過程で信頼を寄せ合ったカップルは、他にそこまで付加価値が付いている人間がいないので「あなたじゃないとダメ」で、お互いが「かけがえのないパートナー」です。
代用不可能です。
ここで吉田さんの発言に戻ります。
「純愛物の映画作品で、致してない関係の男女の一方が死んでも泣けない。」
です。
致してる必要はないんですけど、致す程度の共同作業にすら到達してない段階のカップルが、「あなたじゃないとダメ」って言い切れる発言を生み出す原因となるような困難を乗り越えてるとは思えません。
宗教や信念で致さないと決めているなら別ですが、多くの一般的なカップルは付き合う上で時間の経過と共にいずれ致します。
だから、作中でパートナーが病死して主人公が号泣しても
「や、代わりおるやん。」
と思います。
3日で忘れます。
新しい異性が現れたら更に忘れます。むしろそっちの方が健全です。
作中の描写では、他にも代わりがいるような関係性しか構築出来てないとこちらからは見えるので。
実際に周りの人間が死んでこれ思ったらサイコパスですが、作品なので所詮絵空事です。
作品を見て泣く人が心優しいとは思いませんね。自分が泣きたいから泣いてるだけです。
病気にかかってそのまま死なず、病気中も看病し続けてカップルでい続けたストーリーなら「一緒に困難を乗り越え」てますが、大抵病気にかかってそのまま死に至り、死んだことに対して泣いて終わりです。
ひねくれた考えですが、関係性に深みを感じられないヒューマンドラマに泣くことはできません。
1日目の締めから殺伐としたものになりましたが、皆様のパートナーとの幸せな生活を心よりお祈り申し上げます。